日本のフリーメイスン

鎖国の終わり〜開国

 江戸時代も末期となり、徳川幕府は諸外国と条約を結び開国しましたが、条約は治外法権を含む不平等条約で、また開国の結果インフレーションが起こり庶民の生活は苦しくなりました。民衆、特に武士階級の間に尊皇攘夷の風潮が広がり、日本に住む外国人を襲撃する者も現れ、この風潮は1850年後半から1860年前半にかけて激しくなり、諸外国が幕府に厳しく抗議した結果、1863年に幕府は英国とフランスの軍隊の横浜への駐屯に同意することになりました。

日本最初のロッジ

 フリーメイスンのロッジが日本に開設されたのはこの頃です。1864年英国の第20連隊が横浜に上陸しましたが、その中には軍人たちによって作られたアイルランド・グランド・ロッジ傘下の「スフインクス・ロッジ No. 263」がありました。このロッジは1865年1月27日に横浜において最初の集会を開きました。これが記録として残っている日本における最初のフリーメイスンの集会です。この連隊が横浜に駐屯中に開いた集会には横浜在住の外国人のメイスン会員も出席しました。しかし、このロッジは駐屯軍のロッジであったため日本国内で長期に活動することはできませんでした。従って横浜在住の民間人のメイスンは自分たちのロッジを設立するため、イングランドのユナイテッド・グランド・ロッジに新しいロッジの開設を申請しました。そして明治維新の2年前の1866年に日本最初の「横浜ロッジ No. 1092」が設立されました。その後、第二次大戦前までに日本国内にはこの他にイングランド系ロッジが五つとスコットランド系が三つ設立されました。